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エッグツリーハウス講演会「死に逝く者との対話」奥野滋子

連続講演会~祈り~「死者との対話」

第4回 「死に逝く者との対話」

講師 緩和ケア医 奥野 滋子

 

2019年11月10日

「死は生き方の完成である」(『ひとりで死ぬのだって大丈夫』)。

緩和ケア医として2500人を看取った医師が、終末期医療のあり方、死との向き合い方を問いかけます。

 

どんなふうに死んでいくのか?

死んだらどうなるのか?

魂はどこへ行くのか?

「死」は未知のもので、正解はわかりません。

死のイメージも、人によってさまざまです。

 

奥野先生は、物語を大切にするケアを実践されています。

重い病気にかかったり、死を意識する状況になると、それを物語の結末だと考えがちではないでしょうか。

奥野先生は、人はそれぞれ自分の「物語」を生きている。「病気」もまたその物語の一部であり、「物語」は何度でも作り変えることができると捉えます。

「病の語り」という対話によって、これまで気づかなかった新たな内なる発見をしたとき、意味ある人生の「物語」が創造される可能性があるとおっしゃいます。

結末ではなく、未来や希望が感じられます。

 

重い現実を結末として終わらせるのではなく、物語の続きを創造していけるのだという方向へ転換するのは、自力では難しいことでしょう。

それには、心の内を聴いてくれる人が必要です。

これまで奥野先生が出会った症例を紹介しながら、何が患者さんの心の扉を閉ざしていたのか、どんなきっかけでその扉が開いたのか話してくださいました。

心の内にあったのは、恐怖、怒り、懺悔、感謝、祈り…さまざまです。

もしも奥野先生に出会っていなかったら、その患者さんたちは、そうした思いを胸に秘めたまま旅立っていかれたかもしれません。

奥野先生に話を聴いてもらうことで、その方たちの物語は先は進みました。

たとえ短い時間だったとしても、その変化が人生の意味を大きく変えたに違いありません。

奥野先生の包容力が、固く閉じた扉を開いたのだと思いますが、誰もがそのうような場面に立ち会う可能性があります。

物語が創造される可能性を信じて、お話を聴かせていただかなくてはならないと思いました。

 

死を看取る人の二つの役割

一つは、死に逝く人のためのもの。死に逝く人を安心させ、彼らが自分の人生を肯定する作業を手伝う役割

もう一つは、自分自身の成長に喪失体験を取り込むという、看取る人自身のための仕事

 

大切な人とのおわかれと、自らの死を恐れる気持ちもありながら、また一方には死が私たちにもたらしてくれる恵みもあることを感じた講演会でした。

 

 

 

 

 

 

 

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